8月6日 破綻の音

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 ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ・・・。

 アラームを止めた。

 08:00

 液晶画面の表示を確認すると、スマホを、ガラステーブルの上に置いた。切れていた、エアコンの電源を入れる。汗で、Tシャツが、体に張り付き、気持ち悪い。

 ブラインドを開けた瞬間、太陽の光が、差し込んだ。

 冷蔵庫の中から、ペットボトルの水を取り出した。口を付ける。喉を鳴らすと、乾涸びた細胞が、生き返っていく。現在、私は、絵を描く事で、細々と生計を立てている。1日の予定の融通が利くと、遂、ダラけてしまう。その生活を、ずっと、続けていると、私たらしめているものまで、壊れていくのだ。その事に気付いてから、ある程度、習慣づける様になった。

 身支度を済ませると、エアコンの電源を切った。

 玄関口に出し放しの、サンダルに足を通す。

 全身鏡で、最終確認する。髪の毛は、跳ねていない。相変わらずの団子っ鼻だ。

 1度、深呼吸すると、ドアを押した。

 チン。

 エレベータに乗り込む。1階ボタンを押した。マンション内は、家族連れにしろ、独身者にしろ、昼間は、通勤通学している人が、多い。そのため、ラッシュ時を避けると、比較的落ち着いているのだ。 

 チン。

 エレベータを降りた。

 いつも通り、閑散とした廊下を歩く。

 エントランスを抜けた瞬間、強烈な太陽が、照り付けた。このマンションは、オートロックがないため、破格の安さだ。ここに住み始めて3年になるが、未だ、強盗や不審者を見掛けたなどの、報告はない。それは、単に、私の耳に入っていないだけなのかもしれないが、住宅街が立ち並ぶ、奥まった地域という事で、納得している。駐輪場に止めていた、自転車の鍵を外した。乗れる所まで押すと、サドルに跨がる。ペダルを踏み込んだ。

 住宅街を抜ける。

 大通りへ出ると、後は、只管に、この道を直進するだけだ。覚えやすいのが、長所だが、単調過ぎる事が、短所だ。ほぼ毎日、同じ事を繰り返しているため、最近では、この通りを走っていると、記憶が飛ぶ。

 赤信号でブレーキを掛けた。その瞬間、周りの景色が、鮮明になって目に飛び込んで来た。恐る恐る周りの様子を窺う。皆、それぞれに行き交っているだけだ。それが、分かると、ホッと安堵した。そこで、信号が、青に変わった。

 20分間、只管に、同じ動作を繰り返していると、次第に、頭がぼんやりして来る。今、私がいるのは、現実か、妄想の中か。次第に、2つの区別が付かなくなり、妄想に飲み込まれそうになった。その時、横断歩道の向こう側に、2階建ての白い建物が見えた。

 近くで見ると、白い壁も、大分、黒ずんでいる。それだけを確認すると、その横の鉄階段の下に自転車を止めた。流れ落ちる汗を、手の甲で拭う。

 白い建物の影の中から出た瞬間、強烈な太陽が、照り付けた。

 1階の花屋「HUNAKI」の隣には、ロッジ風の建物がある。

 やはり、ここだけ都会から浮いていると思う。看板には、白いペンキで「コンキリエ」と描かれている。それを確認すると、その下にある、木製の、分厚いドアを押した。

 カラン、カラン、カラン。

 冷気に、生き返る。天井には、シーリングファン、店内の至る所に、ヨットや飛行機などの、模型がある。マスターが、趣味で、世界各地から集めたそうだ。 

 定位置である、カウンターの右端の席に着いた。セルフサービスで、銀のピッチャーからグラスに水を汲む。口を付けた。喉を鳴らすと、乾涸びた細胞が、息を吹き返していく。

「おはよう」

声の方を見る。マスターが、客席から戻って来たのだ。目が細く、口髭を蓄えている。身長180センチ以上。横幅があるため、カウンターの中では、一杯一杯だ。42か3歳だ。

「おはよう。ランチセットを」

「はいよ」

「おはようございます」

声の方を見る。すると、そこには、店員の莉奈ちゃんがいた。身長は、私よりも少し低めの154センチ。吊り上がり気味の目と、人懐っこさが、猫を連想させる。近くの美大に通っている。

「お待たせ」

声がしたかと思うと、目の前に、アイスコーヒーが用意された。

 カラン、カラン、カラン。

 ベルの音を背中で聞きながらも、食べる手は、休めなかった。

「おはよう」

声がした後、身長178センチで、切れ長の目の男性が、隣の席に着いた。近くの大学院に通う、多田稔さんだ。学内にいる時間が長いからか、真夏だというのに、肌が白い。

「おはようございます。ランチセットを」

稔さんの横顔を見つめながら、髪には、寝癖が付いていて、頬には、ほうれい線がくっきり現われているため、徹夜明けだろうと考える。不意に、稔さんが、こちらを振り返った。

「徹夜明けなんだ。参るよ」

「そういや、美里さんの絵、完成したんだぁ」

そのフォローで、恥ずかしくなった。稔さんの視線を感じながらも、俯き加減にフォークを動かし続ける。

「また、観せてよ」

稔さんの優しい笑みを見ていると、なぜ、急に、彼に悪意を感じたのか、分からなくなる。莉奈ちゃんも、稔さんも、絵が完成する度に、観に来てくれているのに。

 店を出た瞬間、強烈な太陽が、照り付けた。一気に、汗が吹き出す。

「暑いねー」

声の方を見る。すると、稔さんが、手で庇を作る様にしていた。「ねー」と言った所で、次の言葉を躊躇った。この後、稔さんは、2日振りに帰宅するのだ。一瞬の後、口を開いた。

「良かったら、観ていく?」

「良いの?」

稔さんは、目を細める様にしている。その仕草の意味が気になった。しかし、この圧倒的な太陽の下では、そんな小さな事など、考えていられない。

 花屋「HUNAKI」の横には、鉄階段がある。真夏の太陽に照り付けられ、熱々の鉄板の様だ。裸足で歩こうものなら、良い音を立てて、こんがり焼き上がるに違いない。想像して、身震いする。

 カン、カン、カン。

 鉄階段に、4つの靴音が、響いた。

 元々、住居用ではないため、ドアはアルミと、簡易的な造りだ。

 それだけを確認すると、ドアノブを引いた。その瞬間、籠もった、暑さが押し寄せた。その中に足を踏み入れると、遮光カーテンの引かれた部屋に、電気とエアコンを点けた。振り返る。「ぞうそ」と言って、笑みを浮かべた。

「ありがとう」

「暑いねー」

「ハハハ。あぁ。これ?」

その声で、稔さんの視線の先を追う。すると、そこには、1枚の絵があった。描き終わった時のまま、出しっ放しになっていたのだ! その事を思い出すと、恥ずかしくなった。不意に、稔さんが、こちらを振り返った。

「良いね」

「ありがとう」

「何て言うか、大胆さの中にも、繊細さがあるというか・・・」

次第に、苛立ちが募った。表現が、小難しいからか、薄っぺらいからか、何も理解出来ないし、心に響かない! 最近は、こんなすれ違いばかりだ! 不意に、稔さんと目が合った。「ありがとう」と言い、ぎこちない微笑みを浮かべる。

 ドア越しに、稔さんと別れの挨拶を交わした。もう、先程の苛立ちを、すっかり忘れていた。

「頑張ってね」

「ありがとう。たくさん寝た方が良いよ」

「フフフフ。そうするよ」

稔さんが、「じゃあね」と言って、小さく手を振った。私も、「じゃあ」と言って、小さく手を振り返す。稔さんが、前に向き直る。と同時に、ドアを閉めた。

 冷えていく部屋とは、対照的に、怒りが込み上げる。

 キャンバスをイーゼルから退けた。少し動くだけで、汗が吹き出す。

 新しいキャンバスをイーゼルに立て掛けた。

 絵の具を指先に付けた。キャンバスへ投げ付ける。いつから、私達は、こんな関係になったのか! 原因は、分からないが、何か1つ、分かる事があるとすれば、全ては、稔さんが、大学に通い出してからだという事だ! 不意に、手が止まった。目の前には、赤と黒の絵の具の塊がある。もう、怒りはない。すると、何を描いていたのか、分からなくなった。

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⏰ Last updated: Nov 08, 2019 ⏰

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イエローコリスWhere stories live. Discover now