蜘蛛の糸の感想

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  「蜘蛛の糸」を読み終えて、いろいろ印象に残りました。
「蜘蛛の糸」は仏教の因果性について勉強になりました。カンダタが殺人で、いろいろな悪事を働いたどろぼという原因で、結果は地獄の底の血の池で浮いたり沈んだりしなければなりません。しかし、そんなに酷いことをしたカンダタは蜘蛛の命を助けてやったという一つだけの良いことをしましたので、お釈迦様に蜘蛛の糸で天国に行かせました。それで、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがあることが分かりました。つまり、悪事を働いたら、地獄に落ちてしまうこと、善事をすれば、だれでも許させられて、天国に行くチャンスがあることです。
そのまま登り続ければ、ぜひ天国に行けると思ったカンダタは残念ながら、同じように登ってくる他の地獄の罪人にこのままでは糸がもたないと思って、「おりろ」とわめいたため、糸がぷつりと切れ、あらためて地獄の血の池に落ちてしまった。それは、カンダタは自分だけが助かりたいという貪欲の原因だろうと思います。それ故に、困っても相手の生死を考えずにわがままで自分ひとりだけが助かろうとしてはいけないということが分かりました。
カンダタがみんなを助けたくないことに賛成するわけではありません。しかし、カンダタの立場から考えると、彼の恐れがなんとか分かります。そんなに細い蜘蛛の糸が自分だけでも天国まで行くことができるかどうか分からないので、大勢の犯罪者を載せれば無事に到着できるか判断できなくて恐れるのも当たり前だと思います。その上、ずっとその血の池で浮いたり沈んだりして、困難さや痛さを体験したカンダタはその怖いところに落ちることを驚きおののくはずです。人間なら、怖がるときは自分の行為と態度の調整が考えられないと思います。もちろんカンダタがしたことは悪かったことですが、人の恐れを試すことは、本当にいい方法でしょうか。
蜘蛛の糸は読み終えて、地獄に落とされた存在がいたこととお釈迦様は気がついて居て、みんなのことを観察していることを初めて考えました。それで、これからも善事に向こう、良いことをやります。それに、誰かのことを判断して決定する前に、相手に恐れさせないように気を付けようと思っています。  

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