中世アルプスの高地で

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 早朝の清冽な山の息吹きが霧となって、高原の村を朧に包んでいる。村を囲む雪稜が朝日を映じて黄金色に輝き出せば、柔らかな光を映じ、その広い渓谷地が微睡むように姿を見せる。

 白く雪を被る岩嶺の裾野は、麓へ行くにつれ若草色へと染まるように森と草原が彩り、その向こうには碧く澄んだ湖が水を湛えている。

 湖畔には修道院のような一際大きな建物があり、山の麓の森には古城の影も見える。

 言葉に出来ない郷愁がそこにあった。私はただ風となって、高地の草原に佇んだ。

 高原には白や紫のクロッカスが咲いていて、清流がコポコポと水音を立てている。

 その傍を伝う道は、牧草地を縫うように石積みの家々を結び、山腹の村の広場へと続いている。

 広場には童話世界を抜け出したような朱色の屋根の家々が並び建ち、その中心には高く尖った教会の塔が建っていて、風景に完成された情趣を与えているようだ。高原から谷を見下ろす風景は、まるで神が丹誠を込めて創った箱庭のようだ。

 渓谷を緑に染める高原のアルプは先人の切り開いた牧草地であり、村では共有の財産だった。

 アルプは高地まで続き、そこへ続く道を今日も白い羊の群れが昇って行く。

 羊を率いるのは村の青年で、羊を追う少年達は村の公用を担う立派な稼ぎ手だった。

 まだ朝も早く、春の山の風はまだ冷たい。羊飼いの少年は手をさすりながら空を見上げた。

 真っ青な空を刺すようにアルプス山脈の白い峰が立ち並び、氷壁からは雪を含んだ風が降りてくる。

「エルハルト兄さん。今日はずっとこのまま晴れかな」

 弟のアルノルトが遙か前方で羊を導く兄に聞いた。アルノルトはまだ十五歳になったばかりだ。

 三つ年上で頭一つ背の高い兄のエルハルトは、白い峰から吹いてくる風に対峙するように岩に立ち、空をしばらく眺めて言った。

「いい天気だが、後でだんだん天気が悪くなる。今日は早めに切り上げよう」

「こんな天気なのに? どうして判るの?」

「あそこの斑の雲だ。風も湿ってる。山は生きてるんだ。声ではない声があるのさ」

 エルハルトの天気を読む目は殆ど外れたことが無く、村の大人でさえ一目置いていた。

「へえ。流石はエルハルト兄さんだ」

 アルノルトは長い棒で後ろから羊を追いつつ、こうして遙か前方のエルハルトと会話をして歩く。

 風となった私は、この数奇なる二人の兄弟のところへ降り、魂を預けたのだった。

 牧羊犬のベルが今来た道の後方へとしきりに吠えていた。

 前を行くエルハルトが小さく後ろの岩を指差した。アルノルトが後ろを振り返ると、小さな影が岩に隠れるのが見えた。

Heartland over the world treeWhere stories live. Discover now