律の初恋

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 翌日。教室で律の姿を見つけて声をかけると、律は「おはよう」と言って、スッとどこかへ行ってしまった。そのときは、きっと急ぎの用でもあったのだろうと気にかけなかったが、その次の日も、またその次の日も律は佳奈子にそっけない態度をとり続けた。

 もし、昼食を断ったことで嫌な気分にさせてしまったのなら、それも仕方がない――。佳奈子はそう自分に言い聞かせ、それ以降、律とは一定の距離を保つよう心がけた。

 しかし、それからしばらくすると、いつも佳奈子が使っている朝の電車に律が乗ってきて、声をかけてくるようになった。

 そのうち、帰りも「一緒に帰ろう」と声をかけられるようになり、気づけば一緒に行動する機会が増えていた。

「僕はもっと佳奈子のことを知りたいんだ。......迷惑かな?」

 さっぱりとした性格で、気配りのできる律と一緒にいるのは居心地が良い。

 ただ、ときどき強引なところがあるかと思えば壁を感じることもあり、気持ちにムラがあるという印象は否めない。だから佳奈子も素直に、「迷惑じゃないよ。私ももっと柚木さんのこと知りたいって思ってるから」と言うと、律は安堵したように笑った。


 そんなある日、いつものように登校してきた佳奈子は、下駄箱に一通の手紙が入っていることに気がついた。それは無記名で、十五時半に一人で屋上に来るよう書かれていたため、放課後になると律に「先に帰ってて」と声をかけて教室を出た。

 屋上につくと、佳奈子を呼び出したと思われる女子生徒二人の姿を見つけた。そちらへ歩み寄りながら記憶をたどるも、その二人に見覚えはない。

「来てくれてありがとう。私は水泳部部長で三年の笠井って言います」

「同じく水泳部副部長、二年の下山です」

 そう自己紹介されても、なぜ水泳部のツートップに呼び出されたのかがわからず、つい「一年の伊豆原佳奈子です」と、よくよく考えればする必要のない自己紹介をしていた。

「ところで伊豆原さん。柚木さんが放課後、何をしているか知ってる?」

 なぜ、ここで唐突に律の名前が出たのだろう。笠井の質問の意図がまったく読めない。

「いいえ......、知りませんけど?」

「二人ともどこの部にも属さず、いつも一緒に帰っているようだけど、一緒に何かしているの?」

「いえ......、別に何もしてないですけど......」

 すると水泳部のツートップは顔を見合わせ、「本当、なんで彼女は入部を断ったのかしら?」と首をひねった。

「彼女は中学時代、かなり優秀な競泳の選手だったのよ。うちもそこそこの強豪校だから、当然入ってくれると思ってたんだけどね」

「そうなんですか......」

 言われてみれば、たしかに律は体育の授業での身のこなしは軽く、運動が得意そうだ。だけど、律が水泳で名の知れた選手だったということを、本人の口からは一度も聞いたことがない。

「......でも、なんでそんな話を私に? 直接、柚木さんに言ったらいいんじゃ......?」

「もちろん、言ったわ。でも、彼女は『今は水泳よりも楽しい時間を過ごしてるから入部はしない』って言ったの。だから、いつも一緒にいるあなたなら、何か知ってるかと思ったんだけど......」

 すると、「彼女は何も知りませんよ」と律が屋上のドアから姿を現わした。

「やだなぁ、先輩がた。僕はちゃんと説明したのに。彼女を巻き込んだらかわいそうじゃないですか」

 律はそう言ってさり気なく両者の間に割って入った。

「僕は泳ぐのが好きだったわけじゃないんですよ。ここだけの話ですけど、好きな人を思いながら泳いでたんです。でも今は泳がなくてもその人を思えるから、もう水泳に未練はないんです」

 律は自分の意志が固いことを繰り返し説明した。二人もなかなかあきらめなかったけれど、絶対にYESとは言わない律を前に折れるしかなく、最後はしぶしぶ引き下がった。

 屋上を出ると、「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」と律が頭を下げた。

「それより、どうしてここがわかったの?」

「先に帰っててって言ったときの佳奈子の様子がいつもと違って見えたから、ついつい後をつけちゃった。......気を悪くしたかな?」

「ううん。たぶんあの流れだったら、先輩たちは私に柚木さんを説得するよう言ってきた気がするんだよね。それで、私だったらきっと断り切れなくて引き受けちゃってたと思う。だから、間に入ってくれて助かったよ。ありがとう」

「巻き込まれたのはそっちなのに、お礼を言うのは違うでしょ」

 そう言って笑う律に、「でも、柚木さんが水泳ですごい選手だったなんて知らなかったな」とポツリともらす。

「あぁ......。もうやめちゃったからね」

「好きな人を思って泳いでたって......」

 そこまで言いかけて、佳奈子は口を閉ざした。それは佳奈子に向けて話されたものではなかったし、すごい選手だった律が水泳をやめるという決断をしたのには、何か複雑ないきさつがあったのかもしれない。

「ごめんね、忘れて」

 佳奈子がそう言って撤回すると、「隠すような話じゃないよ」と律は笑い、「好きな人がいたんだ。その人が川で溺れていたところを助けたことがあってね」と佳奈子を見やる。

「その人とは長いこと会ってなかったけど、好きな気持ちってなかなか消えないものだよね。だからその人を思いながら泳いだんだ。そうすることですごく幸せな気持ちになれたし、それに、泳ぎ続けていればきっとまた会えるような気がしてね。でも、今は思い出に浸るより、これからどう育てていくかを考えてる。......前向きな決別だったんだよ」

 なぜ、律が泳ぎ続けることでその人ともう一度会えると思ったのか――そういう感覚的なことはよくわからない。

 すると、そんな佳奈子の表情を読んだのか、「他人からは、理解しがたい話かな」と律は苦く笑った。

「そんなことないよ......って、あんまり恋をしたことのない私が言うのもなんだけど。でも、好きな人を思うと幸せな気持ちになれるっていうのはわかる。柚木さんがその人のことを忘れない限り、きっとまた会えるよ」

 律同様、根拠のない直感だったが、胸を張って言い切った。すると、律は笑いをこらえるように小さく肩を震わせた。

「......佳奈子ってわからないって言いつつも、ちゃんと考えて佳奈子なりのまっすぐな答えを出してくるよね。僕、佳奈子のそういうところ好きだな」

 そう言って人好きのする顔で笑う律を見ていると、何故だか佳奈子の頬は赤らんだ。

Destiny(日本語版)Kde žijí příběhy. Začni objevovat