■第二十章:犬神人
「絵が残っているのさ。独特の覆面をした風体のね」
「本当か?」
「いたんだよ、そういう連中が。『犬神人』というんだ」
「犬神人」と書いて、「いぬじにん」と読む。
「神人(じにん、じんにん)」とは荘園等の領民とは異なり、神社に帰属する民の事である。
即ち、神に仕える者を指す。
広い意味では神職や巫女等も神人の一種であった。
犬神人は是等神人に近い存在ではあったが、他の神人とは区別されていた。
葬送や刑の執行等を司っていた為、時代が下ると非人等と共に社会的な差別を受ける様に成る。
「犬神人は独特の覆面で顔を隠していたんだ」
其の覆面は目だけを残し、頭と口を布で覆った形であった。
「絵姿を見ていて思ったんだ。こいつは中東の風俗だってね」
ターバンを頭に巻き、口元を覆う。確かにいわれれば、異国風の形に見える。
現代を基準に考えると、ターバンはインドやアラブの風俗という印象が強いが、寧ろ砂漠という地域性から来る服装というべきであろう。
須佐は言葉を続ける。
「ユダヤの血筋という仮説を置いてやると、『犬神人』に『犬』という字が付く謎が解ける。中東系の高い鼻と浅黒い肌が『犬』というイメージを呼んだのだろう」
「其れを隠す為の覆面だったという訳か」
各地の神社に犬神人は付属していたが、祇園社(現・八坂神社)を筆頭に北野社(北野天満宮)や石清水八幡宮の其れが良く知られている。
「『梅』の本流は表に出る存在ではない。各社に属した犬神人達は、『梅』からスピンオフした集団だろう」
須佐は自説を述べた。
「特殊技能集団という『梅』の性格を受け継いで、麹座、油座、綿座等を取り仕切り商工業発展の一角を担っていたのが犬神人だ」
北野社と言えば、天神信仰のメッカとも言える存在である。其処にいた犬神人は、何らかの形で『梅』に繋がる存在であったに違いない。
北野社の犬神人は麹座を作り、運営していた。
酒や味噌、醤油の原料となる麹を独占的に製造販売する業者が麹座である。
「酒造りといえば、味酒氏を思い出すだろ。道真が元『味酒首(うまさけのおびと)』を名乗っていた巨勢文雄と近しかった事、其の家人に味酒氏の一族がいた事を考え併せると、やはり『梅』の一部が表の顔として運営していた事業の一つだったと思えるんだ」
「天神ネットワークのフロント・カンパニーという訳か」
「天神といえども維持費が必要だからね。稼業を持たなければ生きては行けないさ」
だが、表舞台に出れば社会と関わりを持たざるを得ない。室町時代に下ると、北野社麹座は延暦寺と権益を争う事に成る。
始め麹座側は室町幕府の庇護を受けていたが、延暦寺は強訴を繰返し麹座を追い詰めて行く。
やがて室町幕府の支配力が弱まると直接的な武力に勝る延暦寺が勝利を収め、北野麹座は没落した。
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鉄と草の血脈-天神編
Historical Fiction天神菅原道真。 日本人なら誰でも知っている学問の神様だが、日本最大の怨霊として恐れられた存在でもある。 道真は、「梅」と名付けた特殊能力集団を操り、雷神の力を駆使する超人であった! 電撃を飛ばし、火炎を操る。ある時は大地を揺るがせ、ある時は天を焦がす。 これは、道真の謎に独自の仮説で挑む超時空小説である。