■第三十章:道賢経筒の謎
醍醐帝逝去前後の法事に関して、当時の記録には「度者千を給わる(賜わる)」「度者五百を給す」等と書かれている。此は朝廷が千人の公度僧を認めたという事である。
「そうは言っても、一度に千人もの出家が行われる訳ではないだろう。事実上、既に僧侶として生活している者達に公度僧の資格を与えてやったという事だ」
須佐の解説は続いた。
「公度僧の制度には経済的な意義もある。正式な僧は納税義務も、課役に服する義務も免除されていたんだ」
古代の税制は人頭税を基本としていたので、公度僧を認められるという事は、寺にとって免税枠を獲得するという事に等しい。
延暦寺が勢力を拡大した要因には、独自の戒壇を有し、受戒即ち僧の資格授与を公的に行える権限を有していた事が大きく寄与している。
「醍醐帝の時代には、『勝ち組寺院』がはっきり形成されていて、朝廷をも脅かす程の大勢力となっていたんだ」
須佐曰く、醍醐帝は此の勢力バランスを突き崩そうとしたのだと言う。
「何せ、醍醐帝の供養なんだ。醍醐寺を中心に置くのが当然という物だろう」
堂を建てたり、仏像を建立したり、公度僧枠の「割り当て」も、醍醐寺に手厚かった筈だと、須佐は主張した。
「経済的な側面で言えば、いろんな名目の手当を支給し、免税枠を割り当てたという事になるわな」
醍醐寺の尊重姿勢は、醍醐帝の後継者である朱雀帝にも引き継がれた。お陰で醍醐寺は隆盛を極め、南都北嶺の二極支配体制に楔を打ち込む存在と成った。
「構造的に言えばだ、仏教勢力に対する防御機構として醍醐寺を擁立し、神道勢力に対しては北野天満宮を立てて牽制に努めたんだな。此の二つを権威付けする為に利用されたのが、道真の怨霊だった」
現代的な表現をすれば、其れは「プロパガンダ」であった。
一つ、道真は無実の罪で放逐され、非業の死を遂げた事。
一つ、道真は恨みの内に死に、天満大自在天となりつつ、怨霊と成った事。
一つ、其の祟りが世に災いをもたらし続けている事。
一つ、醍醐帝は道真を無実の罪により大宰府に流した為、地獄に堕ちて苦しんでいる事。
一つ、祟りを鎮めるには道真を神として祀るべき事。
一つ、また、仏塔建立、公度僧認可等の仏教式供養を行うべき事。
此の内容をショッキングなレポートに纏め、世に流布したのである。
「其れが『道賢上人冥途記』であり、『北野天神縁起絵巻』だ」
冥途記の内容を掻い摘んで述べれば、道賢は修行中に急死し、冥界を彷徨う。其の際に、醍醐天皇、宇多法皇の死後の姿と出会い、日本大政威徳天となった道真の怨霊と会話する。其の時の会話内容が、先に箇条書きした物であった。
夢から覚め、一命を取り留めた道賢は夢の内容を世に知らしめ、天神信仰を広める事に寄与した。
「此の道賢という僧は、出自来歴が貞崇に良く似ているんだな。どちらも三善氏の出身といわれ、真言僧であり、金峯山で長年修行を積んだ事になっている」
「貞崇は表の歴史にも登場する実在の人物だろうけど、道賢の方はどうなんだ? 冥途に行って甦ったなんて、如何にも胡散臭い話じゃないか?」
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鉄と草の血脈-天神編
Historical Fiction天神菅原道真。 日本人なら誰でも知っている学問の神様だが、日本最大の怨霊として恐れられた存在でもある。 道真は、「梅」と名付けた特殊能力集団を操り、雷神の力を駆使する超人であった! 電撃を飛ばし、火炎を操る。ある時は大地を揺るがせ、ある時は天を焦がす。 これは、道真の謎に独自の仮説で挑む超時空小説である。