「……気のせい、だよな……」翌朝、理人はシャワーを浴びながら、ぽつりとそう呟いた。
朝起きると、景はいなくなっていた。景との再会は、よくできた夢だったのではないかと思えるほど、いつもと変わらない朝だった。
だが、着替えた覚えのないパジャマや、綺麗に片付いた部屋を眺めていると、徐々に昨夜の記憶が蘇ってくる。ぼんやり霞みがかった記憶の中に、ここでひと時を過ごした景の笑顔が閃いた。
そして、景が理人にしたことも、夢うつつに……。
「……いやいや、景がそんなことするわけないし……」
ずっと会いたかった親友との再会は、孤独と疲弊で生気を失っていた理人の心を解きほぐし、久方ぶりの安らぎをもたらしてくれたものである。
美しく、そして凛々しく成長した景のことが、何だか妙に誇らしかった。語り合っていると、子どもの頃に時が戻ったような心地がして、全てを忘れることができるような気がした。この懐かしいぬくもりの中に、ずっと揺蕩っていられたら、どんなにいいだろうと。
どうしても離れがたくて、もっとここにいてほしいと訴えてみると、景はあっさりと理人の願いを叶えてくれた。そして、理人が眠りにつくまで、ずっと側に座っていてくれた。
――でも……。
肌を撫でるくすぐったさが、深い眠りに落ちようとする理人を引き止めていた。
理人のシャツをはだけ、スラックスを引き下ろし、景は一体何をしていたのだろう。微睡みの中でうっすらと覚えているのは、景が理人の股座に顔を埋め、熱い吐息を漏らしていたこと。だがそれは、理人が見ていた夢なのか、現実なのか、はっきりと判断がつくわけではないほどに曖昧だった。
「……いやいや、夢だろ。どうして景が俺にそんなことする必要があるんだ。……夢だ夢。うん
……」
だが、どうしてそんな夢を見てしまったのかと、理人はまた頭を抱えた。がしがしと頭を洗い、シャワーで勢いよく泡を流しつつ、理人はふぅ……とため息をつく。――……きっと、記憶が混線したけだ。ヒートの間、良知のこと考えながら一人でオナニーばっ
かしてたから……色々ごっちゃになっただけだろ……。
ふと、『亡き番』である高科良知のことを思い出すや、理人の胸はズキンと痛んだ。
高科は、理人よりも十八も年上のアルファで、大きな事務所を経営する敏腕弁護士だった。ずっと仕事で忙殺されてきたため、ただ一人の相手と添いたいという想いなど、一度も感じたことがなかったらしい。
だがある日、赤信号で停車した際、横断歩道を渡る理人をたまたま目にした。そして高科は、一瞬にして理人に心を奪われたのだという。
そこはちょうど、理人の通う大学のそばだった。正門からキャンパス内に入っていく理人の背中を食い入るように見つめていると、背後からけたたましくクラクションを鳴らされたのだと、高科は笑っていた。理人に目を奪われているうちに、信号が青へと変わっていたからだ。
その頃の理人は、景を探し、待つことにすっかり諦めを感じていた頃だった。
二十一歳になり、そろそろ就職のことも考えねばならない時期で、当時の理人は色々と悩みを抱えていたものである。
『温室』で理人を見初め、面会を申し出てくるアルファはたくさんいた。みずみずしい十代のオメガの価値は高く、貰い手が一番多く現れる。理人も例に漏れず、男女問わずのアルファに声をかけられたものだった。
誰かから声がかかるたび、ひょっとすると景が会いにきてくれたのではないかと、理人は期待に胸を高鳴らせた。だがそこにいる顔は、待ちわびている相手のものではない。その度に襲いかかってくる落胆に理人は苛立ち、誘いをかけてくるアルファをつっぱね続けた。
生意気で可愛げのないオメガが好まれるはずもなく、理人はいつしか二十歳を超えていた。『温室』内でもそこそこの古株になっていたものである。