景の実家を訪れるのは、随分と久しぶりだ。十五年前に消えた景を探して、頻繁にこの大きな門を叩いていたものだ。だが大人になって、ようやく気づく。家の権勢を明白に示すが如く、その家構えは素晴らしくも厳しいものだと。
和の設えが上品な佇まいであるが、あまりに静謐なその気品は、滅多なものは寄せ付けまいというる頑なさのようなものを感じさせる。
よくもまあこんなにも威圧的な鉄扉を、何度も何度も無謀に叩けたものだと、子どもの頃の自分の無謀さに呆れるばかりだ。
「へぇ、これが夜神の実家 でっかい家だなぁ〜」
と、隣でのんびりしたことを言っているのは芦屋である。一人で行かせるわけにはいかないと、厚意で同行してくれたのだ。
「……俺から呼び出しておいてなんですけど……」
「ん」
「あの、仕事戻らなくて大丈夫なんですか 担当してるオメガは俺だけじゃないでしょ」「そりゃそうだ。でも俺がついて歩かないと、君は何をしでかすか分からないからな」
「……そうですか」
「そういうこと」
芦屋は飄々とそんなことを言うと、理人に断りもなく門扉のインターホンを押した。
すると程なく、品のある老婆の声で『はい、どちら様でございましょう』という問いかけが返ってきた。
「突然お邪魔して大変申し訳ありません。私、法務省保護局の芦屋と申します」そして勝手に応対しているのである。芦屋のマイペースさに巻き込まれる格好となり、理人はやれやれとため息をついた。
すると、しばしの沈黙の後、インターホンの向こうから、訝しげな声音で返答があった。
『……どういったご用向きでしょうか』
「こちらに夜神景さんはご在宅でしょうか。本日休みを取ると聞いてはいたのですが、至急連絡を取りたいことがありまして」
用事があるなら携帯に電話すればいいのに……と、その台詞を聞きながら内心ツッコミを入れ
る理人であるが、芦屋はいたって涼しい顔だ。だが、スピーカーの向こうは再び沈黙となり、理人はやきもきしながら芦屋の後ろをうろうろと歩きまわった。
すると、かすかな物音の後、声の主は不可思議なことを言い出した。
『景、という人間は、この家にはおりません』
「……え」
理人は驚きのあまり、芦屋の後ろから大きな声を出した。そしてすぐにインターホンに詰め寄ると、「どういうことですか 景は、夜神の人間でしょう ここから学校にだって通ってたじゃないか」と問うた。
『お引き取りください』
「ちょっ…… 待ってください どういうことなんです」
ぷつんと通話が切れ、理人はもう二度三度としつこくチャイムを鳴らす。だが、今度は内部に繋がる気配はなく、スピーカーはうんともすんとも言わない。
「……もうやめとけ。通報されるぞ」
「でも」
相手が出てくるまで粘ってやろうと門扉にかじりついていた理人の首根っこを、芦屋がぐいと引っ張った。理人が不服げに睨みつけるのも構わず、芦屋は理人のシャツを半ば強引に引っ張って、夜神家を後にする。
そして、少し離れた場所に停めていた車に理人を押し込み、芦屋は運転席に乗り込んだ。
「ちょっと、どういうことなんですか 小学生の頃、景は明らかにここから学校に通ってたんだ なのにあんな言い方……」
「ちょっと落ち着け、そして待ってろ」
「はい」
「いいから、静かにしてろ。……あー、もしもし 芦屋だけど。うん、ちょっといいか」
いきりたつ理人を片手で制し、芦屋はどこかへ電話をし始めた。
そして電話をしながら、何やらカーナビに住所を打ち込んでいる。
「了解、サンキューな。……え いやいや、今度飯奢るからさ。おう、じゃあな」芦屋は軽妙な口調で相手と会話を終えた後、そわそわしている理人を見た。
「これ、どこの住所ですか 誰と電話してたんです」
「はいはい、ちょっと落ち着けってば。……電話してたのは、保護局の同僚だ。夜神が提出した個
人情報をな、ちょっと確認してもらっただけ」
「個人情報」
「入局時に提出した書類によると、夜神の住所はここではなく、こっちになってる」
とんとん、と芦屋はカーナビの画面を指先で叩く。そこに映し出されている住所は、ここからは少し離れた場所にある、住宅街の一角であるようだ。景になんのゆかりがある場所なのだろうかと、理人は首をひねった。
「行ってみるか」
「え 行く、行きます。ここに景はいるんですよね」
「そりゃ、行ってみねーと分からねぇな」
芦屋はそう言い、理人を宥めるように微笑んだ。眉を下げて気の抜けた笑みを見せる芦屋の表情に、理人の肩からも少しだけ力が抜ける。
「……そりゃ、そうですね。お願いします、連れてってください」
「了解だ」
きびきびとした返事とともに、エンジンがスタートする。
そして到着した家は、郊外にあるマンションの一室だった。四階建ての最上階の部屋が、カーナビに示されていた住所である。
市街地からは距離があり、いささか不便そうな立地だ。だが、建物自体は比較的新しそうで、道路からエントランスまでのアプローチは煉瓦長のタイルが敷き詰められ、小ぎれいに整えられている。
ちょうど外出する住人がいたため、芦屋はさも当たり前のような顔をして、するりとマンションの敷地に入っていった。慌てて理人もついて行く。
そして直接、部屋のドアの脇についていた呼び鈴を押してみた。
反応はもらえないかもしれないと覚悟していたが、しばらく待ってみると、ドアの向こうで人が身動きする気配を感じた。
「……理人」
「景……よかった、いた」すっと開いたドアの向こうで、景は驚きと気まずさを混ぜ合わせたような表情を浮かべていた。今日はずっと家にいたのだろうか。初めて見る景の私服姿が珍しく、理人はしばしその全身をじろじろと眺め回してしまった。
「……どうして ここの住所って……」
「すまんな、夜神。俺もいるぞ」
玄関ドアの前に立つ理人の背後に、ひょいと芦屋も顔を出す。すると景は目に見えて迷惑そうな顔になり、ぴく、と眉を震わせた。
「……なんで芦屋さんまでいるんですか」
「何言ってるんだ。理人くんは俺の担当でもあるんだぞ。彼が困ってる時は、当然手を貸すさ」「手を貸すって……だからってこんなところまで来るとか」
と、渋い顔をしている景の前に、理人はずいと一歩近づいた。否応無しにドアを開く格好になり、景は驚いたように目を瞬き、理人をじっと見下ろした。
「良知の過去を根こそぎ調べて、丸ごと俺に報告して来たお前が言うんじゃねーよ」「……っ……理人」
「悪いけど、芦屋さんには全部聞いてもらった。ここへ来る道中で、お前が俺にしたこと全部な」「……」
理人の言葉に、景が息を飲んでいる。さすがに芦屋には知られたくなかったのか、渋い顔がさらに強張り、唇からこぼれるため息は湿っぽい。
「……そう、なんだ」
「それを踏まえて、俺からも景に聞きたいことがあるんだ。……もうこれ以上、はぐらかさないで欲
しい」
「……」
固い意志を込めて景を見据え、理人はきっぱりとそう言い切った。
すると景はゆるやかに目を伏せた後、くしゃっと蜂蜜色の前髪を手で乱す。そして、ひとこと、こう言った。
「……いいよ。上がって」