景は厚手の白いTシャツを着て、淡いベージュのパンツを履き、いたってシンプルな格好だ。だが、キッチンでコーヒーを入れている後ろ姿にさえ、どこか気品が漂っているように見える。
綺麗に整えられた襟足や、シャツから覗くほっそりとしたうなじを眺めているだけで、なんだかそわそわと落ち着かない気分になった。いつもはワイシャツの襟で隠れているシルバーのネックガードが、今日は何に覆われるでもなく露わになっているせいかもしれない。――オメガ、だよなぁ……。実はアルファでした、みたいなオチがあるのかと思ってたけど……。
正真正銘のアルファである芦屋がそばにいると、景はやはりオメガなのだと実感させられる。芦屋は今日もきちんと抑制剤を服用してくれているようで、フェロモンの匂いは感じない。だが、二人の全身を取り巻く雰囲気は、それぞれ明確に違う何かがある。体格といった外見的なものだけではなく、内から溢れ出す空気が違うのだ。
「どうぞ」
「あ……サンキュ……」
「すまんな、俺の分まで」
「ついでですよ」
四人がけのダイニングテーブルに座っていた理人と芦屋の前に、湯気のたつコーヒーがそっと置かれた。
当初、芦屋は『車で待っていようか』と提案したのだが、景がそれを制止した。『全部知ってるなら、別にこれ以上隠す必要もないですし』と言って。
正直、理人は芦屋の存在に救いを感じていた。どんな話が出て来るかも分からないのに、ここで景と二人きりというのは、理人にとってもいささか心もとない状況だったからだ。利害関係のない誰かがそこにいてくれるだけで、雰囲気が随分と軽くなるものである。
「理人、その首……」
「え ああ。お前のせいで発作が出たんだよ」
もうこれ以上何を遠慮することがあるのかと思い、理人はきっぱりとそう言った。強気な理人の反応位、景はちょっと意外そうに目を瞬きつつも、やはり罪悪感には気持ちが暗くなるらしい。申し訳なさそうに項垂れて、重い口調で謝罪した。
「……そっか、そうだよね。ごめん」
「ったくお前は。保護局勤めのくせに、今の俺がどんなナイーブな存在か全然分かってないだろ。あ、あ……あんなことした次の瞬間に色々言い捨てて帰りやがって」
「……うん、全くその通り……」「いい加減にしろよな。俺を散々動揺させた分、今度はお前のことを全部話してもらうぞ」「……」
理人に説教されてへこんでいる景のことを、芦屋が物珍しげに眺めている。ふと、そんな芦屋の視線に気づいた景が、ちらりと目線を上げた。
「……何です」
「いや……しおらしいお前を初めて見たから、びっくりしてんだよ」
「俺はいつでもしおらしいと思いますが」「は しおらしいの意味分かって言ってる」
と、自然と口喧嘩モードに入りそうになっている二人である。理人はパンパンと手を叩いた。
「芦屋さん、今は黙っててくださいね」
「……いや、悪い悪い」
芦屋を黙らせ、理人は改めて景に向き直った。マグカップを弄ぶ景の指先を見つめつつ、理人はまず、こう尋ねてみた。
「さっき、お前の実家に行ったんだけど。……景なんて人間はいない、って言われた」
「……」
「どういうことなんだよ。お前、ガキの頃はあそこの家から学校通ってたよな」
「理人といた頃は、そうだったね。……まぁ、色々あって、もう十年以上……いや、十五年か。俺は
あの家の敷居を跨いでない」
「な、何で…… お前さぁ、俺と離れてる間、マジで何があったんだよ。俺には言えないことなの
か」
「……そうだなぁ」
必死に縋り付いてくる理人を見つめつつ、景はふと思わせぶりな笑みを浮かべた。何度も見て来たこの薄笑みは、『これ以上自分の中に入ってくれるな』というやんわりとした拒絶を感じる。だが、理人はこれ以上引き下がるつもりはなかった。