気が付くと、朝になっていた。
理人はいつものように、自分のベッドの上で目を覚ました。
長い長い眠りから、ようやく覚めたような気分だった。身体はほんのりと気だるく、頭は重く痺れている。
家族の、夢を見た。
それは自分自身の記憶なのか、それとも、願望とともに作り上げてしまった幻影なのかは分からない。
だが、理人は確かにあたたかな団欒の中にいた。二人の顔は定かには思い出せないが、幼い理人を見つめる両親の眼差しが、理人の胸をじんと熱くしたものである。
――こんな夢、これまで一回も見たことなかったのにな……。
不思議な気分だった。
これまで理人の身に起こったことは、全てが悪い夢だったのではないかと錯覚してしまうほど、静かな朝。
だが、無造作に置かれたスーツのジャケットを見て、理人はハッとした。
これは昨日、景がここへ置いていったものである。オムライスを作るからといってワイシャツ姿になったとき、ジャケットを脱いでここに置いて……。
「うっ…………」
途端に、昨日の記憶が一気にフラッシュバックして、激しい吐き気に襲われた。理人はシンクへ駆け寄り前かがみになったが、もう吐くものなどないと言わんばかりに、胃が痙攣するだけである。「はぁっ……はぁ……ッ……ぁあ……」
シンクに手をつき、ずるずるとその場にへたり込む。
昨日、景に聞かされたことは、すべて真実なのだろうか
それとも、景は理人を騙そうとでも……。
――いや、そんなことをする意味が、どこにある……。
理人はシンクに背中をもたせかけ、焦点の定まらない瞳で空くうを見据えた。
「……嘘、だったらいいのに。全部」
ぽつりと呟いた声は着地点を失って、その場でどろりと溶けていく。
欲しかった家族は存在した。だが彼らは、唯一無二の番となる男によって命を絶たれていた……そんなお粗末なミステリ小説のような展開が、まさか己の身に降りかかって来ようとは、微塵
にも考えたことはなかった。
高科は温厚な性格で、いつだって理人に優しかった。あんな男が、オメガ人身売買に関わっていたなど、にわかには考えにくいことだ。それに、高科は弁護士だ。どういう経緯で、オメガ人身売買になど関わることになったというのだ。
理人よりも一回り以上年上の高科に、二十二年という歳月の間に何かしらの変化があったとも考えられるが、理人の中にある高科のイメージとは、まだどうやっても結びつかない……。
だが、高科によく似た若い男のあの視線が蘇り、理人は思わず身を硬くした。
興奮状態で目を血走らせた男と、理人は確かに視線を交じらせたように感じた。だが、理人は何をされることもなく生き延びた。
二十二年前の出来事となると、理人は当時まだ五歳だったということになる。年齢のせいか、事件のショックで記憶が混線でもしているせいか、理人の中の両親の記憶は曖昧だ。だが、激しい
暴力に晒されたあの瞬間のことだけは、理人の中で鮮明に蘇ってしまったらしい。理人は思わず目を覆い、奥歯が軋むほどに強く噛み締めた。高科はずっと、理人を騙していたとでも言うのだろうか。
あの時の子どもだと気づき、監視目的で理人を手元に置いたとでも……
全てを知りたいという欲求が、理人の中でむくむくと育っている。だが、全てを知る張本人はすでにこの世になく、ありのままの真実を語らせることはもうできない。
あぁもう、何もかもどうでもよくなってきた……。
ちょっと前まで、早く日常生活に戻りたい、研究の前線に戻りたいと望んでいたのに。そんなものはもう、理人にとってなんの意味もないもののように思えてくる。